踊る楽しさ 3 (残酷な事実)

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このブログの最初の投稿で、

「社交ダンスの楽しさは人それぞれ違うでしょうし、違っていて当然ですが、

私の場合、上手くスイングできたときの浮遊感はズバリ快感」

と書きました。

これは、あくまで個人的な極論で、

その前段階としてあるのは、

音楽と供に身体を動かす楽しさにあるのだと思います。

私は努力するなんてまっぴら御免、数多くある健康のための運動などやったら三日坊主、

というたいへんな怠け者で、根性のない人間です。

ところが、メロディ、リズムとともに体を動かすという楽しさには、

努力が必要な、ストイックな心がけが必要な、たくさんの運動には断固拒否反応を起こす、

この根性なしの怠け者が、いとも容易に白旗を上げてしまうのです。

これに優る楽しさなど無いんじゃないかと !

楽しいと思えば、努力なんて不要です。

その楽しさをもっともっと深めたいと思うだけですから。

まさに、中毒症状です。

その楽しさをさらに深めるため、人に助けを求めます。

講習会に参加したり、ダンス教室に通ったりします。

ところが、左ひざを痛めてしまいました。

これは踊りたい人間には致命的な故障でした。

誰も助けることができない問題でした。

おのれの心で受け止め、おのれの頭で考えるしか方法がないことでした。

故障のない身体であれば、素晴らしい先生方がたくさんいますので、教えを請えばいいのです。

ところが、致命的な故障をしてしまった場合、その痛みの部所、可動域など本人しかその細部はわからないのです。

3年前の入退院後、ふと、あと何回踊れるんだろうか、今日が最後かもしれないと思った時、

姿勢ひとつとっても自分が納得できていないという事実に心底、落ち込みました。

問題を先送り先送りして真正面から取り組もうとしませんでしたから、当然といえば当然です。

残酷な事実を認めることから、始めなければなりませんでした。

しかし、残酷な事実を認めてしまえば、

後は方法論なのです。

左ひざを故障してしまったという事実、

姿勢すらまともに自分のものとしていないという事実、

それを認めて、じゃあどうすればいいのか?

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